心の目が見えない私が書くファンタジー小説

アファンタジアは、心の目を使わずに生きていても、創造性を妨げることはありません。私は視覚化ができないにもかかわらず、ファンタジー小説を書いて出版し、ユニークな方法で創造性を活かすことを証明しました。
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目次

私はアファンタジアです。 ファンタジー小説を出版したばかりです。アファンタジアが何かわからない読者にとって、理解することが難しいかもしれませんが、私たちは、心の目を使わずに生きています。もしかすると、ファンタジー小説を書くことが本当に可能なのかと不思議に思う人もいるかもしれません。

ビーチを想像するように求められた場合、約96%以上の人がイメージを「見る」ことができ、太陽の暖かさや、つま先の間の砂を感じることができます。海岸に打ち寄せる水の音を聞くことさえできる人もいます。私は五感のすべての感覚でイメージのない、トータルアファンタジアなので、それらのことは一切できません。

想像力と創造的であること

アファンタジアのほとんどの人とは異なり、私は常に自分が視覚化できないことを知っていました。いずれにせよ、私は人生でうまくいくとわかっていましたし、成功する方法を見つけました。しかし、2013年、63歳になる前は、「想像する」ことができないと思っていたので、ファンタジー小説を書くことは、自分の枠を超えていると思っていました。心の目を使わずにファンタジーの世界を描くことが、どうしてできたのでしょうか?

英語の「ファンタジー」の語源は、ギリシャ語で「イメージで考える」という意味の「ファンタジア」から来ていると言われています。アファンタジア(aphantasia)の単語の先頭にある「a」は欠性辞アルファと呼ばれ、基本的にその後に続くものを否定します。ですから、アファンタジアとは基本的に「イメージなしで考える」という意味で、多くの人がそれを「想像力がない」と解釈しています。しかし、現代で「想像力」という言葉を使う場合、必ずしも「イメージで考える」という意味ではありません。ほとんどの場合、イメージが含まれていますが、それ以上のものです。それは、何か新しくて違うものを考え出すことができる、創造的であるということです。

2013年3月以前は、アファンタジアの人が想像力豊かであることを知りませんでした。実際、私は自分が想像力豊かになれるとは思っていませんでした。

心の目を持たないまま生きてきた自分が、なぜファンタジー小説を書けないと思ったのか

2013年3月、私は創作したい物語のアイデアがありました。私はいつもファンタジーを読んで楽しんでいましたが、突然、ファンタジーの物語のアイデアが浮かび、頭の中から離れなくなりました。私はその物語を書き留めることで、その思いがなくなることを期待していました。しかしながら、書き続けるうちに、それを手放したくなくなっていきました。そして、私はただ書き続けました!

ある時、全体の話をまとめるには1冊には収まらないことに気づきました。1冊目の終わりに近づいて来たとき、熱心な読書家であり、文学教師であり、プロの編集者でもある妻に、その小説の一部を読んでもらいました。

彼女は優しく、そして正直に答えてくれました。私の描写は退屈で、私の小説の登場人物のセリフのほとんどは、自分に似ているように聞こえた!ということでした。諦めようかとも思いましたが、簡単には諦めきれず、小説の書き方を学び始めました。妻は、初めの頃に私に何が必要なのか理解することを助けてくれました。その後、他の著者、出版社、編集者の話を聞くようになり、いくつかの講座も受講しました。私が短編小説を書き始めたのは、自分が書いている世界やキャラクターに深みを与えるためだけでした。

10年後、友人や専門家からフィードバックをもらうようになりました。そして、一年をかけて私の物語を磨き上げた結果、出版社から小説を出版したいという話がきました。この記事が公開される頃には、私の本は発売されているはずです。心の目を使わない生き方をしていたとしても、私は実際にファンタジー小説を書くことができました。

心の目を使わずに、鮮やかな表現の小説を書く方法について学んだ2つの重要なこと

アファンタジアネットワークは、数年前に「エクストリーム・イマジネーション」会議を後援しました。アファンタジアの人の大部分が STEM 分野のキャリアに進むことが知られているにもかかわらず、プレゼンテーションを行ったアファンタジアの多くが芸術家だったので、それは驚くべきことでした!特に、芸術家のパネルディスカッションに感銘を受けたのですが、その中にはアファンタジアもいれば、そうではない人もいました。

パネルディスカッションでは、彼らがどのように作品を作っているのかが説明されていましたが、多種多様な作り方を学ぶことができ、とても興味深かったです。アファンタジアの人は、視覚化できる人がするように、自分たちが作りたいものを心の中で想像し、それを紙や彼らが使っている媒体に書くことができません。その代わりに、アファンタジア達はさまざまな戦略を見出しました。例えば、写真や見本を使って、見たものを再現したりしながら、作品を創り上げていく人もいます。またある人は、絵を描いたり、消したり、何度も試みたりして、最終的に自分が思い描く形に近づけます。そんな時、 グレン・キーンのことを耳にしました。彼はアニメ映画 「リトル・マーメイド 」に関わった芸術家の一人で、彼はアファンタジアでした!

アファンタジアの芸術家が、そのように多種多様な方法で描くことができるのであれば、なぜ私は幻想的な世界や人々を描写することを学ぶことができないのだろう、と疑問に思わざるを得ませんでした。しかし、見えない光景をどう表現すればいいのでしょうか。私は心の目を使用せずに、生き生きと書くことを学ぶことができるでしょうか?

1.あなたが知っていることを書く(視覚的にイメージできなくても)

私にとって最初の重要なポイントは、頭の中で何かのイメージを作り出すことができなくても、物事がどのように見えるかを知っていることに気づくことでした。頭の中で何かが見えないのに、どんな風に見えるのか、どうして知ることができるのでしょうか?頭の中で、知らない人と知っている人をどうやって見分けることができるのでしょうか?特に、これらのものを見ることができる人には、説明するのは難しいです。アファンタジアである友人の中には、それをどう表現したらいいのかわからず、「何となくわかる」と言っている人もいます。

私は神経科学者ではありませんが、私にとって役立った例え話があります。私たちは物事を認識したり、説明したりするために、頭の中にデータを保存する必要があるということです。

おそらく、コンピューターやデジタルカメラが写真を保存する方法のようなものです。画像は保存されません。画像内の各ポイントを説明するデータが格納されます。コンピューターや電話で画像を開くと、チップとソフトウェアがそのデータを光の点に変換し、それらを組み合わせると画面に画像が表示されます。アファンタジアの人はデータ自体は持っています。しかし、それを心の目のスクリーンに映し出すことはできません。それを表示する画面さえないかもしれません。いずれにせよ、私たちはデータは持っており、何かが「どのように見えるか」ということは知っています。

私がファンタジー小説を読むとき、頭の中にイメージが見えるかどうか?いいえ、見えません。しかし、もし見ることができたらどうなるかはわかっています。それがどのように見えるかを知っていれば、それを説明することができます。

2.読んで、読んで、読んで!

また、表現力が豊かな文章を書く上で重要なことは、自分自身でたくさん読むことでした。そうすることで、場面や情景を描写するための語彙を増やすことができました。編集者や出版業界の専門家は、私が現在書いている本の内容について高評価をしてくれました。語彙力を増やすことが、うまくいった要因に違いありません!

私の経験は多くの例の1つにすぎませんが、この記事は実際には、私だけに当てはまることだけではないと思います。私が他のアファンタジア達との交流から何かを学んだとすれば、それは私たち全員が全く同じではないということです。私たちはみんな違います。しかし、視覚化できるビジュアライザーの妻や家族、友人とのやり取りの中で、すべてのビジュアライザーが同じではないことも学びました。全感覚でイメージを形成しないトータルアファンタジアから ハイパーファンタジアまで、驚くべきスペクトラムがあります。私たちはみんな異なります。それぞれが自分だけのユニークな才能を持っています。

私たちは、どうすれば自分だけのユニークな才能を最大限に引き出すことができるのでしょうか?

心の目がある人も持たない人も、どのように職業を追求し、どのように決定すべきでしょうか?それは、歴史を通じて私たちがそうしてきたのと同じような方法で考えるべきです。一部の人にとっては、選択肢が限られていると感じるかもしれません。その場合は、自分自身を十分に理解し、それらを最大限に活用してください。選択肢が多い場合は、自分が好きなものを発見し、自分の長所と短所を踏まえて、自分に有利に働く方法を見つけてください。

私は、大学で専攻を決めなければならなかったとき、自分が好きな哲学を専攻しようと思っていました。しかし、周りからは哲学よりも経済的に安定しそうな心理学系に進むべきだと言われました。結局、私は哲学の道を選びましたが、それを後悔したことは一度もありません 。何を選択するかは、すべてあなたにとって何が重要かによります。

ただし、大学で専攻を選択することはプロセスの終わりではありません。私たちはみんな、時間とともに成長し、発展し、そのプロセスの中で新しいスキルを学ぶことができます。私は人生で4つの異なるキャリアを選びました。今は既に引退していますが、作家として5番目のキャリアを始めています。

これらすべての最後の応用例です。私は地上で最も祝福された夫です。亡くなった妻と私は、さまざまな試練を乗り越え、多くの素晴らしい時間を共に過ごしました。彼女はビジュアライザーで、私はそうではありませんでした。私の聞いた話によると、そのような組み合わせはよくあるようです。私たちはたくさん話し、すべてを一緒に共有しました。違いや類似点を共有することで、お互いを知ることができました。自分たちがどう違うのかを完全に理解していたわけではありませんが、自分たちがどう感じているか、何を考えているかについては常にオープンに話し合っていました。お互いを深く理解し合える関係だったので、彼女が亡くなったとき、彼女がいなければ自分が何者なのかわからないと感じました。

私はまだまだ勉強中です。一緒に過ごした43年間を、この世の何かと引き換えにするつもりはありません。私は今一人で彼女はもうこの世にいませんが、彼女がいてくれたおかげで、私はより良い人間になり、幸せであることを感じています。そして、学びを通じて少しは成長したとはいえ、根本的には昔の自分と同じままです。

最近アファンタジアであることを発見した人、または以前から知っていた人でも、何かが足りないと感じないでください。あなたの体験を探求してください。自分がどう考え、どのように経験しているかを知ることが大切です。それを友人や家族、特に配偶者やパートナーがいる場合は、その方達と共有してください。私たちの人生は、とても深く、充実したものにすることができます。

心の目の有無にかかわらず、私たちは人間であり、ユニークです

私たちはみんな違うかもしれませんが、そのような違いがあっても、私たちはみんな基本的に同じ人間性を持っているという事実を見逃さないでください。心の目の有無が、あなたの人間性に影響を与えるわけではありません。それぞれのユニークさが、他の誰とも違う形で、世界に影響を与える可能性を持っているということです。

私は、心の目を使わずにファンタジー小説を書くことで世界に影響を与え、創造性が視覚的な想像力に限定されないことを示しました。私の人生の旅を共有することで、自分と同じような方が自分自身のオリジナルの物語を作る方法を発見し、受け入れるきっかけとなればと思っています。そして、創造性の本質は視覚化する能力だけでなく、思考の多様性にあることを証明したいと考えています。

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