映像の能力を失った人たちは、急にそうなったのですか、それとも時間の経過とともに低下していったのですか?

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昨年、答えを探しているときに幻覚症に出会ったが、以前はとても鮮明な記憶を持っていたので、自分に当てはまるとは思わなかった。

私は、最終的な結果を記憶するのではなく、その都度、構成要素と、それを理解したように組み立てる手順を記憶していた。これは、新しい情報が提示されたときに便利で、構成要素が変わったり、組み立てに異なる手順が必要になったりしても、簡単に視覚化することができ、新しいパラダイムを採用することができたが、古いモデルを変更点とともに見ることもできた。

幼少の頃、私の記憶力は非常によく、映画館、映像、音、そして匂いや味覚、さらにすべてがインデックス化されたローデックスのようなものだと考えていた。

会話や、人々が何を着ていたか、どの日に何を着ていたか、読んだ本の内容や、思い出す必要のある情報を含む段落の場所や、その間に何があったかを思い浮かべることができる。

私は顔を覚えるのが得意で、名前を覚えるのは苦手だったが、同じ名前の誰かを連想したり、その人の名前が出てきた会話を思い出したりすることができた。

ティーンエイジャーの頃、私は記憶力の悪化を訴えていた。記憶を視覚化する能力が低下しており、以前は記憶を視覚に頼ることが多かった。

幼少期に見逃されていたかもしれないことがあり、現在その真相を突き止めようとしているところだが、私はADHDかもしれない。

私の記憶と想像力は視覚に大きく依存していたが、何年もかけてそれが損なわれていくのを目の当たりにし、今ではリンゴを思い浮かべられるかと聞かれたら、答えは「ノー」でもあり「イエス」でもあるような状態だ。
真っ暗で、何かの一部がチラッと見えるかもしれないが、その後ははっきりしない。 私が見ているのは、私が細工したリンゴのイメージではなく、以前に出会ったことのあるリンゴのイメージなのだが、それは水たまりの底にあり、表面にはガソリンの膜が張っていて、イメージの大部分は見えない。 私はリンゴに出会ったことがあり、リンゴがどのように見えるべきかを「知っている」ので、目に見える部分をリンゴのものだと識別することができるが、色や感触を伝えることはできない。私は記憶から色や感触を選ぶことができるが、それらは私の頭の中で作られたリンゴから来るものではないだろう。

以前は想像力が豊かで、心象風景を思い浮かべることがちょっとした逃避だったのだが、今はイメージを思い浮かべることができない。

幻視症について調べていると、もともと幻視能力を持たない人もいれば、失ってしまう人もいる。

同じような経験をされた方はいらっしゃいますか?

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