頭の中には何の映像も浮かんでいないのに、記憶を細部まで正確に描写できた、そんな経験はないでしょうか?子どもの頃に暮らしていた家の中を、心の中で「見えて」いないのに思い出せたり、友人の顔を実際に会えばすぐに認識できるのに、思い浮かべようとすると何も出てこなかったり…。
こうした、「見えてはいない」のに視覚的な情報を扱っているような感覚。私は、アファンタジアの当事者コミュニティから届いた何百通ものメールを通じて、まさにこの現象を多くの人が経験していることを知りました。そしてそこには、非常に興味深い問いが浮かび上がってきます。もしかして、私たちの脳は実際にはイメージを作り出しているけれど、私たちの意識がそれにアクセスできていないだけなのでしょうか?
アファンタジアにおける無意識のイメージとは何ですか?
アファンタジアにおける無意識のイメージ とは、 アファンタジア の人が、頭の中で映像を思い浮かべることができなくても、脳の中では視覚的な情報が処理されているかもしれない、という考え方です。 最近の研究では 、アファンタジアの人たちは意識的にイメージを見ることはできなくても、想像をするときに脳が視覚情報を“裏側で”使っている可能性があると報告されています。
実際、最新の脳画像研究では、アファンタジアの被験者が想像を行う課題に取り組んでいる最中、視覚野が活性化していることが確認されています。このときの脳活動のパターンは、コンピューターによって読み取ることが可能であり、視覚的な情報処理が脳内で行われていることを示唆しています。しかし、これが アファンタジアにおける真の無意識のイメージ を表しているのか、それとも 別の認知処理戦略を表しているのかについて、現在も科学者たちの間で活発な議論が続いています。それでもこれらの研究成果は、多くのアファンタジア当事者が長年感じてきた、「見えてはいないが、確かに知覚している」という感覚ーすなわち、「見えないまま分かっている」という不思議な経験を、科学的に裏づける手がかりとして注目されています。
無意識のイメージの科学的証拠
論文「Imageless imagery in aphantasia revealed by early visual cortex decoding」と題された論文で、Chang、Zhang、Cao、Pearson、Mengらの研究チームは、アファンタジアの人が想像を試みたときの脳の働きを調べました。この研究では、脳画像を使って、アファンタジアの被験者が頭の中で何かを思い浮かべようとした際の脳活動を分析。すると、本人は「何も見えていない」と報告しているにもかかわらず、脳の視覚野には一定の活動パターンが現れ、そのパターンはコンピューターによって読み取ることができたのです。
アファンタジアにおける無意識のイメージに関する主な発見
- 視覚野の活動:アファンタジアの人が何かを思い浮かべようとすると、たとえ頭の中に映像が「見えて」いなくても、脳の初期視覚野において一貫した活動パターンが現れることが確認されました。これは、視覚情報を処理する脳領域が、無意識のうちに何らかの反応を示していることを意味します。
- 読み取り可能な情報:
この脳活動のパターンには、被験者が想像しようとしている対象に関する具体的な情報が含まれており、コンピューターによって内容を読み取ることが可能であることが示されました。 - 知覚とは異なるプロセス:ただし、こうした「無意識のイメージ」は、実際に目で見たときの視覚知覚とは異なる脳の処理プロセスであることも明らかになっています。つまり、アファンタジアにおける無意識の視覚表現は、通常の「見る」という体験とは本質的に異なるものだと考えられています。
「見えないのに、わかる」という現象
今回の研究は、多くのアファンタジア当事者が日常的に感じている不思議な感覚、いわゆる「見えてはいないのに、わかっている(Knowing Without Seeing)」という現象を説明する手がかりになります。アファンタジアの人々は、この感覚を言葉で表すのが難しいと感じながらも、コミュニティ内では次のような声が寄せられています。
「友人や家族のことを思い浮かべるとき、ただ漠然と考えているわけではなく、ある「イメージ」のようなものが頭に浮かびます。その内容を言葉で説明することはできるのですが、心の中に映像が見えているわけではないんです。いつもこの感覚をどう説明すればいいか悩みます。言葉だけではないし、かといって視覚的なイメージでもない。でも、確かに「記憶の中のイメージ」をもとに思い出しているんです。」
また、別のアファンタジア当事者はこの感覚を次のように表現しています。
「私は「見たこと」は覚えているけれど、実際に「見えている」わけではありません。『感じて見ている』ような感覚です。ちょうど、目を閉じて手を前に出したときのような感じ。手は見えていないけれど、人差し指同士をちゃんと合わせることができますよね。」
無意識のイメージ理論への挑戦
代替的な科学的解釈
アファンタジアにおける無意識のイメージ理論は、注目を集める一方で、科学的にはいくつかの重要な反論や異なる見解にも直面しています。
まず1つは行動実験に基づく研究で、アファンタジアの人々は単にイメージへの「意識的アクセス」を失っているのではなく、本当に視覚的イメージそのものを生成できない可能性が高いと指摘しています。つまり、見えないのではなく、脳内に「描かれていない」のだという解釈です。もう1つは脳画像解析に基づく研究で、アファンタジアの被験者に見られる視覚野の活動は、「隠された視覚イメージ」を反映しているのではなく、イメージを使わずに課題をこなすための別の認知戦略によるものではないかと主張しています。
脳活動だけでなく、実生活での行動にも注目を
2025年にPurkartらが発表した研究は、従来の脳画像研究とは異なるアプローチをとり、「無意識のイメージ」理論を行動レベルで検証しました。脳の活動を見るのではなく、アファンタジアの人々が実際の視覚課題でどのようにパフォーマンスを発揮するかを、典型的な心象を持つ人々と比較する方法です。
その結果、研究チームは次のように結論づけています。
「アファンタジアとは、イメージへの意識的アクセスの問題ではなく、そもそも心象イメージを生成する能力そのものが欠けている状態である可能性が高い。」
つまり、もしアファンタジアの人が無意識レベルで視覚的なイメージを持っているのなら、視覚的な課題において何らかの間接的なメリットや証拠が見られるはずです。しかし、彼らの研究ではそうした兆候は確認されず、「意識的にも無意識的にも、イメージ自体が存在しない」と考えられる結果となりました。
代替的処理理論
Scholz、 Monzel、 Liuの3名の研究者は、「Against Unconscious Mental Imagery in Aphantasia」という論文を発表し、脳活動の検出だけでは無意識的なイメージの存在を示す十分な証拠にはならないと主張しています。
彼らの主張の柱となるのは、以下の3点です。
- パターン類似性の要件:本物の心的イメージであるならば、それは実際の視覚的知覚と類似した脳内パターンを示すはずである。
- 異なる神経パターン:アファンタジアの人々では、「想像」と「知覚」がそれぞれ異なる脳活動パターンを示しており、これは両者が異なる処理プロセスであることを示唆している。
- 代替的処理仮説:観察される脳活動は、無意識的なイメージの証拠ではなく、他の認知戦略を反映している可能性がある。
彼らはこの主張を説明するために、視覚障害者の脳活動に関する研究との類似性を引き合いに出しています。たとえば、目が見えない人でも、さまざまな認知課題を行っている最中に視覚野(一次視覚野など)が活動することがあります。しかし、これをもって「無意識の視覚」があるとは解釈しません。
同様に、アファンタジアの脳で視覚野に活動が見られたとしても、それは視覚イメージの「無意識的な再現」ではなく、他の情報処理の手段や戦略を表している可能性がある、というのが彼らの立場です。
アファンタジア当事者にとっての意味
アファンタジアの経験の正当性
「無意識的なイメージ」、「イメージなきイメージ」、「代替的な情報処理」、どの表現を用いるにせよ、この研究はアファンタジアの人々が長年語ってきたことを裏付けています。つまり、私たちの脳は視覚情報を「異なるかたち」で処理しているのであって、「劣っている」わけではないのです。
言葉と用語の重要性
アファンタジアのコミュニティでは、用語に対してさまざまな考えが表明されています。
「『イメージのないイメージ』という言葉は大丈夫です。私は『無意識のイメージ』という言葉にあまり慣れていません。なぜなら、私は物事を見たらどう見えるかをかなり意識していると思うからです(しかし、私はそれらを見ていません)。」「『イメージなきイメージ』という言い方には違和感はありません。でも『無意識的なイメージ』という表現にはあまりしっくりきません。なぜなら、私は「それがどう見えるか」についての感覚は確かに持っているけれど、それを視覚的に「見る」ことはできないからです。」
このような意見からもわかるように、内面的な経験を語る際には、正確な言葉選びや定義が極めて重要であることがうかがえます。こうした用語の違いが、当事者の理解や社会的認知に大きな影響を及ぼす可能性があるのです。
実生活への影響
「見えなくても、わかる」という現象は、次のようなアファンタジア特有の能力を説明する手がかりとなります。
- 心の中にイメージが浮かばなくても、視覚的な記憶を詳細に語ることができる
- 空間を視覚的に思い描かなくても、慣れた場所を正確に移動できる
- 頭の中で「見る」ことはできなくても、視覚的な細部を記憶している
- 顔を思い浮かべることはできなくても、見れば認識できる(アファンタジアの約60%が該当)
- 創造的・空間的な作業も、代替的な方法でこなすことができる
イメージフリー思考に関する未解決の質問
アファンタジアにおける「イメージを伴わない心的プロセス」については、依然として多くの重要な疑問が残されています。
- 処理メカニズム:アファンタジアの人が心的イメージを思い描こうとする際、脳内では正確に何が起こっているのでしょうか?
- 発達過程:こうした代替的な情報処理のパターンは、どのようにして発達していくのでしょうか?
- 実用的応用 :この認知戦略の理解は、アファンタジアの人々のためのより良い支援ツールの開発につながる可能性があるのでしょうか?
- 個人差:アファンタジアの中でも、先天性(生まれつき)と後天性(事故や病気などによる)の違いによって、イメージ処理にどのような差が見られるのでしょうか?
今後の研究に向けて
アファンタジアに関する今後の研究では、以下のような点が重要になると考えられます。
- アファンタジアの明確な定義づけ(例:先天性か後天性か)
- 脳画像データと行動データの併用
- 標準化されたアファンタジア評価手法の使用
- さまざまなアファンタジア当事者の参加(例:単一感覚のみか、複数感覚にわたるか)
- 現実的なタスクにおけるパフォーマンスの検証
- 代替的な情報処理が持つ可能な利点の探究
トム・エベイヤーによる締めくくりの言葉
私はずっと、アファンタジアを理解することが、人間の意識や認知全体を理解する手がかりになると信じてきました。今回の研究もまた、その魅力的なパズルのひとつのピースにすぎません。
「無意識的なイメージ」「イメージなきイメージ」「代替的な情報処理」、呼び方はさまざまでも、ひとつだけはっきりしていることがあります。私たちアファンタジアの脳は、視覚情報を独自かつ一貫した方法で処理しているということです。私たちは壊れているわけでも、何かが欠けているわけでもありません。ただ、異なるやり方で世界を捉えているのです。この理解は、これまでの「できないこと」に焦点を当てた議論を、「私たちが持つ独自の認知的強みをどう活かせるか」という前向きな視点へと導いてくれます。アファンタジアは、あまりにも長い間、「欠如」によって語られてきました。
みなさんは、この研究についてどう感じましたか? あなた自身の生活の中でも、この「見えないけれど、わかっている」という感覚に心当たりはありますか?よろしければ、コメント欄であなたの体験や考えをぜひシェアしてください。また、こうしたテーマについて同じ感覚を持つ人たちともっと深く語り合ってみたいという方は、私たちの メンバーコミュニティ へどうぞ。そこでは、まさに「分かり合える人たち」との本質的な対話が日々交わされています。